【死を悼むからこそ】上尾中央総合病院 初期研修医 北原智康 先生④

―医師を目指したきっかけはありますか?

高校生になってから、将来は人助けが出来る仕事がしたいと思っていました。元々生物系の分野に関心があったのと、県内の進学校に通っていたので誰でもなれるわけではない少し特殊な職業に就きたいと思い、医学部を受験することにしました。

余談ではありますが、小学生の時に病気で亡くなった同級生に「病院食って美味しくないの?」と、くだらない質問をしてしまったことを強烈に覚えていて、何となくですがずっと医療には関心があったのかもしれません。

 

―医師になって良かったですか?

良かったこともあれば悪いこともありますね。人助け出来ているなと実感できるのは良かったと思います。患者さんが治っていく過程を見るとやりがいを感じますからね。

一方で、どんなに手を尽くしても亡くなってしまう人がいることを見せつけられるのはいたたまれないです。死亡確認は仕事なので粛々と行いますが、残される身としては人の死は悲しいものであり苦しいものです。

もちろん最終的に人は必ず死ぬのですが、だからといって死ぬのが当然とはならないと思うんですよね。人の死を悲しいと思えるからこそ、自分は医師として一生懸命仕事が出来るのだと思います。

 

―最初から耳鼻科希望なんですね?

そうですね。やはり人の死は自分にとって悲しいことなので、生死に関わる診療科よりも機能改善の方向に進みたいという気持ちから耳鼻科を希望しています。特に耳の治療を専門にしたいと思っています。

自分自身、4年生の時に突発性難聴になって左耳が聞こえなくなったことがあるんです。まだ突発性難聴という病名が世間に浸透していなかったので、突然聞こえなくなって恐怖を感じました。1週間入院し、聞こえるようになったのですが、その時の安心感は忘れがたいものです。そこで人の生き死にだけが医療ではないんだと気づかされましたし、生きている間を良くしていく方が自分の性に合った医療の提供の仕方だなと思って耳鼻科に進むことを決めました。

 

―後期研修先は決まっているのですか?

部活のOBとのつながりが役に立ちました。初期研修が終了したら、埼玉医大の耳鼻科にお世話になる予定です。実は、突発性難聴になった時にお世話になった部活OBの先生と埼玉医大の教授が共同研究をしていて仲が良いんですよ。OBの先生の紹介もありましたし、見学した中でも印象が良かったので埼玉医大に行くことにしました。

専門医を取るまでの4年間は鼻も喉も診ないといけませんが、将来的に耳の専門医になりたいことは見学中も必ず伝えるようにしていて、自分の方向性はすでに伝えてあります。やりたいことが決まっているので、同期には羨ましがられますね。初期研修中に専門を決定しないといけないですし、原則変更もできないので、突発性難聴になったことはある意味良かったのかもしれないです(笑)